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坐臥具は、坐臥の用に供する器具お謂ふ、筵、薦、氈、毯代、畳、円座、茵、軾、草敦、胡床、倚子、床子、兀子、枕、衾、夜著、蒲団等の類此に属す、
筵は、むしろと雲ふ、或は席の字お以て之に塡つ、竹、菅、藺、茅の類お以て作る、稲筵、織筵、絵筵、長筵、短筵、広筵、小筵京筵、国筵、唐筵等の別あり、
薦は、こもと雲ふ、藁或は莞お以て作る、蒲薦、藁薦、菅薦、折薦等の類あり、
氈は、かもと雲ふ、獣毛お以て之お作る、
毯代は、音読してたんだいと雲ふ、布帛お以て作り、毯の代用とせるものなり、毯は延喜造酒式に、八尺毯四尺毯と見えたれども、古来多く毯代お使用せり、冬日に倚子の下に敷く所にして、四角に鎮子お加ふ、或は床子、兀子、草敦お置くべき料とす、又蛮絵毯代お公卿の台盤の下に敷く事もあり、
畳は、たヽみと訓ず、たヽみとは物お重ぬる意なり、或は之に帖字お塡て、古来、畳、帖、両字お混用せり、畳は神代より見えて、美智皮之畳絁畳、菅畳等の称あれども、其製作は詳ならず、延喜掃部式には、長帖、短帖、狭帖の製作お載す、各〻席お以て表と為し、薦お以て裏と為す、而して其両縁に布帛お施す、之に繧〓縁、高麗縁等の別あり、又其縁お施さヾるものもあり、而して其種類には長短に就て長畳、短畳の称あり短畳は又半畳と雲ふ、又其厚薄に就て厚畳、薄畳〈又薄縁と雲ふ〉の称あり、畳お作る工人お畳刺と雲ふ、徳川幕府の時は御畳方と雲ふ者ありて、畳屋お監督し、以て営中の畳お作らしめたり、
円座は、わらふだと雲ふ、叉音読してえんざと雲へり、其形円なり、菅、藺、蒋等お以て作る、其縁なきものお無面円座と雲ひ、是お常用の物と為す、縁あるものは、錦縁、高麗縁、紫錦縁、青錦縁、紫縁等の数品ありて、大饗等の時に用いる、此等の円座は京筵の背に紙お糊し、綿お包み、更に織物お以て表と為し、生絹お以て裏と為し、之に縁お施せるものなり、凡そ円座は男子の専用とす、
茵は、しとねと訓ず、又褥の字お用いる、小町席にて作り、布帛お以て縁とす、其形方なり、茵は一人の坐料にて、其大小は倚子、床子等に応じ、少差異あるに過ぎざれども、二人以上の用には稍〻大なるものありて、長さ九尺余なるあり、而して諸司に在りては、黄帛縁お以て五位以上の料と為し、紺布縁お六位以下、主典以上の料と為し、其縁お加へざるものお史生の料と為す、是れ延喜掃部寮式の定むる所なり、此外御座には東京錦、繧〓等お以て縁と為す、要するに茵は畳の上に筵お敷き、更に之に加ふるものなり、
軾は、ひざつきと雲ふ、儀式お庭上に行ふに際し、官吏の両膝お此に著けて坐するが故に此名あり、
倚子は、いしと音読す、後には、いすと雲ひ、又ゆすと雲ひて、倚子の字お用いる、人の倚憑するものにして、欄あるあり、欄なきあり、或は褥お敷き、蘆蔽お敷く、而して倚子は男子の用いる所なれど、女子も亦之お用いしことあり、
承足は、しようそくと音読す、長さ一尺六寸許、高さ広さ共に五寸許にして、両面の錦お以て張る、童帝の御倚子の前に置き、以て御倚子に倚り易からしむるものなり、
床子は、しやうじと雲ひ、さうじとも雲ふ、人の坐するものにて、大中小の異あり、又檜床子、白木床子、囊床子の製あり、簀子床子は或は長床子と雲ひて、四位参議の連坐の用に供し、独床子は三位参議の専用なり、而して髹漆お施せるものには、赤漆、塵蒔、紫檀地螺鈿の数種あり、凡そ床子は男女通用のものにて、女子は概ね男子よりは、較、低きものお用いたるが如し、
草敦は音読してさうとんと雲ふ、蒋にて円柱形に作り、表に錦或は絁お張り、裏に絁或は布お張れるものにて、其大さは延喜掃部寮式に高さ一尺三寸、径一尺六寸、及び高さ八寸、径一尺六寸の二種あり、此物は陪膳采女の座に用いること普通なれども、亦天皇、皇后、皇太子以下の座に供することあり、
胡床は、あぐらと訓ず、或は揚座(あぐくら)の意なりと雲ひ、或は編座(あみくら)の意なりと雲ふ、而して呉床と書けるものも、即ち胡床にして、あぐらと訓ずべく、倭名類聚抄に牙床お訓じて、久礼度古と雲へる物と同じからずと雲ひ、或は相同じとも雲ふ、胡床の文字の史に見えたるは、古事記に、天若日子の此に寝たりとあるお以て始とす、而して延喜式等の諸書に拠りて考ふるに、胡床は之に踞する具にして、其製作は床机に似たるものなるべく、又多く衛府官人の用いる所たり、
兀子は、ごつしと音読す、親王及び公卿の用いる所なり、
脇息は、けふそくと音読す、木及び布帛等お以て之お作る、人の之に憑りて安息する所以の具なり、
枕は、まくらと雲ふ、まくらは纏座(まきくけら)の義にて、古へ真薦或は菅等お纏きて頭お承くる座とせるより名づけたりと雲ふ、枕には製作に依りて括枕、入子枕、箱枕等の名あり、括枕は錦綾等の布帛お以て之お製す、又原質お以て名と為すものには、木枕、金枕、石枕、茶碗枕等あり、木枕は沈、黄楊等の木材お以て之お製す、
衾は、ふすまと雲ふ、臥裳(ふすも)の義にて、寝ぬる時、身お被ふものなるに因りて名づけたりと雲ふ、後の謂ゆる蒲団即ち是なり、多くは絹綾等にて作り、長さ八尺、広さ八幅或は五幅あり、首の方には、紅の練糸お太く縒りてに筋並べ、横に縫ひて首の標とす、紙衾は紙にて製したる衾なり、古へ民間にては、多く之お用いたり、江戸にては之お天徳寺と雲ひて、徳川幕府の中世までは行商するものありしが、後には絶えたり、
宿直物は、とのいものと雲ふ、宿直の時に用いる臥具なり、其製大略今の夜著に同じくして、袖の下衽襟の両脇に六七寸の総お附くるお例とす、宿直物に対して常の臥具お夜衣とも夜物とも雲ひしが、後には夜衣おも宿直物と称するに至れり、宿直物の袋は宿直物お入るヽ袋にして、後の番袋(はんぶくろ)と雲ふもの即ち是なり、
夜著は、よぎと雲ふ、夜寝ぬる時に著るものなり、夜著の名、古書に見えず、古へに謂ゆる宿直物と雲へるは即ち是なりと雲ひ、或は夜著お専ら用いることヽなりしは、慶長元和以後にて、それより以前は、小寝巻とて、常の衣の少し大きなるお下に著て、其上に衾お被ひて寝ねたりとも雲ふ、太平記に夜衣、宿衣およぎと訓ぜり、後の謂ゆる夜著なりや否や詳ならざれども、産所之記に、よぎの名見えたれば、足利幕府の頃には既に世に行はれたること明なり、蒲団は、ふとんと雲ふ、元と円座の類にして、褥お謂ふは誤なりと雲ひ、或は古への布単より転れる名なりとも雲へり、懸(かけ)蒲団と敷(しき)蒲団とのに種あり、懸蒲団は即ち古への衾にして、敷蒲団は即ち褥なり、
蚊帳は、かやと雲ひ、或ばかちやうとも雲ふ、蚊屋の名は既に播磨風土記、大神宮儀式帳及び延喜式等に見えたれども、古は富貴の人にあらざるよりは、蚊帳お用いるもの甚だ少く、多くは蚊遣火お熏じて僅に蚊お駆ふに過ぎざりしが足利幕府の頃より、今の如く上下一般に之お用いることヽなれりと雲ふ、其製近世一般に用いるものは、萌黄の布お以てすれど、或は花鳥等の摸様お染め出し、或は刺繡おなせるものあり、又二重蚊帳とて、二重に之お作り、其間に蛍お放ちて娯楽に供するものあり、又母呂(ほろ)蚊帳と称す戸ものあり、其形母呂に似たるに因りて名づく、又棉帳、紙帳あり、棉帳は木綿お以て之お製し、紙帳は紙お以て之お製す、共に価廉にして貧民の用いるものなり、徳川時代の中頃までは、夏季に向へば蚊帳及び紙帳お売り歩きしが、後には店頭にのみ之お粥くことヽなれり、