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松の落葉

むしろ
むしろはくさ〴〵あり、広筵、長筵、狭筵、小筵は、そのかたちによりていひ、出雲筵、信濃筵、あづま筵は、おり出す国によりていひ、たかむしろ、菅むしろ、綾むしろは、しなによりていへり、又張筵といふあり、これはとにはりて、麈のたち来るおふせぐものなり、西宮記四の巻、相撲のくだりに、三府佐著床子給張筵雲々、有飛塵者、主殿灑水掃除撤張筵とあり、又細貫筵といふもあり、江家次第一の巻、相撲召合の条に、敷満広筵並細貫筵とあり、ほそくながき筵なめり、さてたゞ筵といへる中に、菅なるも、絹なるもあり、こゝろとゞめて見ざれば、あやまりぬべし、西宮記十一の巻に、件廂敷信濃広筵四枚、中敷毯代とあるは、竹菅やうのむしろにて、あら〳〵しければ、毯代おうへにしけるにぞあらん、同記十九の巻に、夏不敷菅円座、敷出雲筵とあるも、同じやうの筵とおもはる、江家次第三の巻に、数膝突小筵為参議座とあるは、よき人の座なれば、よきむしろにぞありけん、源氏物語夕顔の巻に、御車よす、此人おえいだきたまふまじければ、うはむしろにおしくゝみて、惟光のせたてまつる、したゝかにしもえせねば、髪はこぼれいでたるも雲々とあるは、きぬのむしろにて、万葉集の歌によめる、綾むしろのたぐひなめり、夕顔のうへのしきてねたまへるものに、そのまゝつゝみたるさまにて、やはらかなるむしろと見ゆ、うはむしろといふは、したにものしきて、うへにしくゆえにさいへり、西宮記十八の巻に、設冠者親王座〈用土敷二枚並表席褥〉とあるにてもしられたり、大鏡五の巻に、たゝみのうはむしろにわたいれてぞ、しかせたてまつらせたまふ、ねたまふときには、大なるのしもちたる女房三四人出きて、かのおほとのごもるむしろおば、あたゝかにのしなでゝぞ、ねさせたてまつりたまふとあり、たゝみとは、たゝみかさねたるうはむしろおいへるにぞあらん、のしなでゝといへるやう、きぬのむしろなり、又古歌に、狭むしろに衣かたしきひとりぬるよしによめるはねやにいらず、うたゝねしたるさまにて、今の世に小ぶとんといふものしきて、まろねしたるさまなれば、これもきぬのならんとぞおもはるゝ、さればいにしへむしろといひつる中には、竹なるもあり、菅なるもあり、絹なるもあることおこゝうえて、ふるき書おば見るべきことになん、