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古事記伝
十七
畳(たヽみ)は、白梼原宮〈○神武〉段の大御歌に、須賀多々美(すがたヽみ)、伊夜佐夜斯岐氐(いやさやしきて)、倭建命の御歌に、多々美許母(たヽみごも)、幣具理能夜麻能(へぐりのやまの)、遠飛鳥宮段の歌に、和賀多々弥(わがたヽみ)などありて、いと〳〵古き名なり、皮お以て畳とせる例、此次に引る、弟橘比売命雲々、万葉十六、韓国乃(からくにの)雲々などのごとし、さて皮畳(かはだヽみ)、絁畳(きぬだヽみ)などあるお以て見れば、上代には氈茵(かもしとね)などのたぐひおも、凡て多々美(たヽみ)と雲へりしなり、〈右の白梼原の朝の大御歌に、菅畳(すがだヽみ)お敷て、二人御寝坐(みねまし)しよしあれば、敷て寝る物おも、畳と雲しこと知らる、〉和名抄に、畳、和名太々美(たヽみ)、〈此ころに至りては、畳と雲は、今の世にいふ畳にて、皮絁(かはきぬ)などのおば、畳とはいはず氈茵席(かもしと子むしろ)など、おの〳〵別なり、さてその畳に又品々あり、長帖、短帖、狭帖、半帖、又厚帖、薄帖などあり、帖の字は畳と音お通はして用るなるべし、さて又其端に、暈〓端、錦端、両面端、布端、綠端、黄端などくさ〴〵あり、掃部寮式などに委く見えたり、○中略〉さて物お重(かさ)ぬるお多々牟(たヽむ)とも雲へば、畳(たヽみ)と雲名も、重(かさ)ぬるよしなり、〈広き物お狭く折約むるお、多々(たヽむ)牟と雲も、折れば重なる故なり、〉然れば畳は、上代には必幾重も重ね敷たる物なり、〈万葉十一に、畳(たヽみごもかさねあむかず)薦隔編数、十二にも畳薦重編数(たヽみごもかさねあむかず)とある、此れは薦お幾重(いくへ)も重ね編て、一つの畳に造るお雲り、こはやゝ後の事にて、かの上代の如く、幾重も敷べきお、便りよく一つに編重(あみかさ)ねて、厚く造り成せる物なるべし、上代の畳は、後世の如く厚き物とは見えず、〉