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柳亭記

畳 障子
昔畳といひしは、今の薄縁なり、源氏須磨へたゝせ給はんとし給ふ条に、畳ところ〴〵ひきかへしてと見え、おちくぼ物語に、三条の殿へわたり給ふ条に、げにしんでんはみなしつらひたり、屏風几帳とて、みなたゝみしきたりとあり、今の如くならば、畳しきたりとて、ことわるべきいはれなし、人住せざるときは、ひきかへしたゝみおくが故に畳といひしなり、宇治拾遺に、初瀬まうでする女の馬につけて、畳もちゆくは、道にそれお敷せて休ふるためなり、今の薄縁なる事、これ等おもて知るべし、さて散木奇歌集、長明方丈記等に見えたる、つかなみといふ物、今の畳の床といふ物の類と見ゆ、そのつかなみへ畳お綴(とぢ)つけたるが今の畳なるべし、〈予○種彦〉は知らざれど、此考は先達のはやくいはれし事のよし聞けり、その故に唯その一つ二つお記し、引書もおほかた略けり、今物語、或殿上人さるべき所へ参りたりけるに、おりふしも雪ふりて、月おぼろなりけるに、中門のいたにさぶらひいて、寝殿なる女房にあひしらひけるが、此おぼろ月はいかゞし候べきといひたりければ、女房返事はなくて、とりあへずうちより、たゝみおおしいだしたりける、心ばやさいみじかりけり、
今のたゝみならざるは、女のかにておしいだすとしるべし、
〈古〉兎玖波集、誹諧の部、
たゝみにふな虫といふ虫の有けるお見て
よみ人しらず
舟むしはたゝみのうらおわたりけり
と侍るに
かうらいよりやさして来つらん
今の如く敷つめしたゝみにては、うらの虫は見えず、