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内安錄
一今の女御入内〈○嘉永元年十二月十五日〉前日、安房守月番にて、大奥より申の口の畳不足お申出、御囲の内お先立相廻し、此頃出来栄見分も相すみ、御畳の不足と申事は有之間敷、能々先例相糺たる所、前新朔平門院、前新皇嘉門院、入内にも申の口の畳不足にて、前日に至り、俄に畳相廻したる書記有之、扠々不思議なることゝ、尚先例糺見れば、今の女御御殿は、完政度の御造営の時、前清和院中宮にて被為在候故に、申の口に畳なし、申の口に天井なし、畳なしは、禁中と中宮御所に限たることにて、女御の内は申の口といふ名目無之、御張付の形にて、梅竹の間と唱へ、畳敷詰並之御座敷なり、〈是故実のよし、是は負たり、〉