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古事記伝
四十二
和岐豆紀賀(わきづきが)は、師雲脇机(わきづき)にて、脇息のことなり、和名抄坐臥具に、几、西京雑記雲、漢制、天子玉几、公侯皆以竹木為几、和名於之万都岐(おしまづき)、今按几属、又有脇息之名、所出未詳、とありと雲れたるが如し、〈於志麻豆伎(おしまづき)は、押座几(おしいましづくえ)、と雲名にて、即脇息なり、脇息と雲名も、漢籍にも戦国策の注などに見えたり、後撰集の歌に、脇息おおさへて坐(まさ)へ雲々、小右記には腋息ともあり、こは腋と脇と同じことゝ心得て、書れたるなるべし、〉書紀斉明巻(の)に、夾膝(おしまづき)自断(らおれぬ)\また案机(おしまづき)之脚(あし)無故自断(らおれぬ)、天武巻(の)に、高市皇子以下小錦以上大夫等賜雲々及机杖(おしまづきお)、唯小錦三階不賜机などあり、和伎豆紀(わきづき)と雲ぞ上代よりの名なりしお、稍後には、おしまづきと雲(ひ)、又後には脇息と雲なり、〈契冲が、此句お和の字旧印本に誤て知と作るに依て、千木槻(ちぎつき)とせるは論にたらず、〉さて脇机(わきづき)は、座(い)てこそ倚かゝる物なるに、余理陀多須(よりだヽす)とあるは、如何なる如く聞ゆめれど、座賜ふ御状(みかたち)おも、立(たヽ)すと雲べし、〈○中略〉伊多爾母賀(いたにもが)は、板にもがなにて、其板にもならまほしと願ふ詞なり、〈○中略〉師雲、下の板と雲る、即脇机の板なりと雲れたるが如し、脇机は押へて腕の下に在物なるが故に、下とは雲るなり、〈又思ふには、古の脇机には、脚の下にも又板ありて、其奄雲るにや、若然らば、上の板おおきて、下なるおしも雲るに、身お卑下(へりくだ)りたる意あるにや、然れども、なほ師の説ぞ古の意にはかなふべき、〉