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本朝文鑑
五/記
枕記 貞室
敷妙の枕は床台の臥具にして、老少男女のいおやすからしめ、労おたすけ閑おそふる宝器なれど、人つねに目なれて此徳の本いおしらず、もろこしの人も是おいみじと思へるにや、香木おもてけだものゝ形おきざみ、玉おみがき玳瑁おのべて、あしき夢おもさき侍る、此国の歌人のよみ置侍しも猶こちたし、〈中略〉されば我枕はこれらの品にはあらで、みづから老のすえに二つの枕お求て、座の左右にして愛する事あり、一つは桑の木の円枕なれば、その形によせてお玉志名づけ、今ひとつは滑なる方石なれば、やがてお岩といふ、むかし近くめしまつはせし少女のそれが名おかれるもの也、玉といひしは、むつ〳〵と肥て膚のすべらかなりしかば、おさなき比より傍にふさせ侍し新手枕も忘がたし、岩はよな〳〵あとさゝせつるに、踵のあらましくて、あかゞりのむつかしかりければ、思ひなぞらへていふなるべし、宋司馬文公が円枕は、学意にまろばし、長き眠のさめやすくして、読書にたゆみなからしめむが為に、孫楚が流お枕せしは、耳お洗はむが為とかや、下官が愛するは、さる心にあらで、桑は中風おふせぎ、石は頭熱おさまさむとなり、唯よく生おやしなふ便なれば、あにいたづらふしといはむや、或日ひとりの友来りて、此二枕おあやしみて、猿のつぶりやもたりけむと笑ふに、此記おかきてその人に答ふるのみ、
狂雲、此記は世々に伝写して焉馬の誤も有るべきか、〈○下略〉