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守貞漫稿
十八/雑服附雑事
夜著蒲団〈○中略〉
今世夜著ら用ふ、大略遠州以東のみ、三河以西京坂は襟袖ある夜著と雲物お用ひず、然ども昔は京坂も用之歟、元文等の古画に有之、〈○中略〉遠州以東、江月は大布団お用ふは希にて、夜著お用ふ也、敷布団は京坂と同製也、京坂の大蒲団、江戸の蒲団、夜著ともに、純子以下用色染色等、前に雲ると同製也、夜著は襟、袖あり、形衣服に似て闊大なり、蓋袖は長け尺五六寸にす、衣服より大なること二三寸、其他表は衣服の如く、総長けも四尺未満なれども、裏の表より長く裁こと二尺許、裾お表に折返て一尺となり、表ともに五尺になる也、又袖裏も一幅半お用ひ、裏袖の表より闊きこと三四寸、襟も表は四尺余なれども、襟六尺余にす、又襟も衣より広し或曰、夜著は昔無之、慶長元和頃お始とすと雲り、
因雲、江戸吉原遊女の夜著布とんには、表天鵝絨お専とし、或は羅紗、純子もあり、裏は必らず緋縮緬也、又上妓は敷布団三枚、格子女郎はに枚、下妓は一枚也、ともに周りお天鵝絨等にし、表裏とも中は緋縮緬の所謂額仕立也、京坂は太夫と雖ども縮緬、絹の類也、江月より劣れり、
又三都とも坊間及び妓院ともに、夏は麻布哂お以て夜著ふとんお製すと雖ども、猶木綿お用ふ者多き、〈○中略〉
元文中、京師画工京師刊本に載夜著の図也、今江戸に所用と異なること無之、然らば昔は京坂にも用之、其後廃す歟、又は中以下不用之、上輩用之しことある歟、今世夜著、平日用には、図〈○図略〉の如く他裁お以て、掛えり、かけぎれす、汚るヽ時、先是のみお洗ふ也、掛襟かけ裁は木綿の夜著にも、絹、海気等おも用ひ、又木綿おも用ふ、厚本掛襟裁無之、今様お示さんとて、今加之、三布敷布団の図〈○図略〉は今図する所也、夜具には此菊唐草等の形甚多し、形染は此類、島は前図の類お専とす、又大布団、敷布団ともに、図の如く表小、裏大に裁て額仕立おとす、美物愈此製也、大布団も亦多くは此製、唯粗製の敷布団には表同く、或は表全くして裏と周の端にて縫もあり、又夜著、布団ともに必らず綴糸あり、小図故に略之、