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三養雑記

蚊帳
蚊帳といふもの今は家毎になくてかなはぬ物なれど、古書には蚊やり火おこそ和歌にもよめ、蚊屋の名は、わづかに太神宮儀式帳、延喜式に見えたり、また春日験記画詞に、白き蚊帳おかけたるかたおえがけり、近くは吉田鈴鹿家記、宝徳元年四貝九日、花園殿より蚊帳参るとあるよし、おもふに室町家の頃よりは、今の如く夏月はかならず蚊帳おさぐることゝ見えたり、おほかた紐にてつることはなくて、棹にてかくること、そのかみの礼家の記錄に見えたり、それも日毎にはづしたるにはあらで、吉日えらびてつりそめ、又吉日におさむることなり、今も辺鄙には棹にてつるならはしの存れる地もありとかや、棹にてつるには、布(の)ごとに乳つきてあり、予〈○山崎美成〉が家P 199なるふるき蚊帳には、みな布ごとに乳つきたり、されば江戸にても棹にてのみつりしお、いつしか絶たれど、蚊帳には猶むかしのまゝに造れりと見ゆ、又雲、蚊帳の染色は、萌黄にかぎれることなり、金楼子に、斉桓公臥於柏寝雲雲、開翠紗之幬進蚊子焉とあり、萌黄の蚊屋の証とすべし、また入蜀記に、是夜蚊多始復設厨といふことも見えたり、又雲、蚊帳に雁お画けるは、蝙蝠なるべしといふ説、桂林漫錄にあれど、雁おえがくこと、故あることゝ見えたり、備後の旧家に、蘆に雁お染たるもやうの蚊帳ありと、大塚宗甫いへり、