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後松日記
二十一
蚊帳の製作つり様、足利家のころ武家の手ぶりは、其比の旧記所見御座候て、委敷相分りおり候、堂上方の記類には、延喜式の分さらに所見御座なく候いかゞ、
〈(朱書)〉蚊帳製作さだまりたること無之、しかし春日権現験記に、蚊帳おつりたる体みえ候へば、ふるきものとぞんじ候、
蚊帳のふるきよに聞えしことお、わづかに春日験記おもて証としたまふ、いと浅うものし給へり、〈○中略〉
考ふるに、蚊屋の名上代に聞えたれども中世みえず、こは御帳の内へ寝給へば、蚊のいるべくもあらぬなるべし、下人は蚊遣火し、或は扇もて打はらひ、又蚊帳つくりてねたるもあるべし、そは御験記にもみえたり、ひとの国にも高士伝に、黄昌夏多蚊、貧無幬〓作蚊幬、されば後漢の末には有ぬなるべし、釣様御験記には、上のみえねばしりがたし、足利の世には、うるはしく棹おもてつりたるなり、されば蚊屋の幅ごとに耳お付たり、今も本には如此すべし、〈九月になれば棹なくてつる例なり、委しくは我蚊帳つり考にあり、〉