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柳亭記

宗祇の蚊屋〈(中略)此段骨董集に見えたるお補ふ〉
昔連歌師の自誇りて、我は宗祇の蚊屋に三年寐たりといひしが、一種の諺となり、今俗に見えおいふといふ程の事お、宗祇の蚊屋といひつる事は、骨董集に見えたり、又西鶴が名ごりの友に、宗祇法師と岡部の宿にて相宿して、同じ蚊屋に寝たりといひし商人の話お載たるは、三年といふお、相宿にとりなしたる西鶴が骨稽なり、〈崑山集は醒翁(山東京伝が引たればこゝに不載)〉前車〈貞徳独吟〉同じ蚊屋に寐たるばかりの契にて、常はそうぎもあらぬ我中、貞徳自注、是は世上に宗祇の蚊屋に寐たるといふ諺なり、新続犬筑波集〈万治三年印本〉跋に、松永貞徳出自少消遊歌林者尚矣、兼巧詠俳諧、寝乎宗祇蚊屋、傾乎山崎油樽、其技已熟、俳枕〈完文年間、幽山撰、延宝八年印本、〉桃園定輪寺にて、花に下戸宗祇の蚊屋のとなへ有、露添、此句、又言水撰、蛇の鮓〈延宝七年印本〉には、たとへありとあり、十徳や夢お残して蚊屋のきれ、蝶々子、桃園や三年寐ても昔の夢、東風、近く正徳四年印本、祇空落髪の記、来山が詞書に、宗祇の蚊屋に三年とはふるくもいひ伝へて、是さへおかしきにといふ事あり、前に引し東風が、三年寐ても雲々の句に合せ見るべし、東華集〈元禄十三年印本、支考撰、〉寐ても見ん宗祇の蚊屋にけふの月、野径、桃種集〈延宝六年、西鶴撰、〉玉霰宗祇心お砕くとき、友吉、幾夜紙帳の仮枕して、千春、雑巾〈延宝九、常矩撰、〉忍び逢よるは宗祇の蚊屋釣て、古今の大事伝へられけん、玖也、それはそれ宗因の紙帳難波風、友静、宗祇の蚊屋に宗因の紙帳お対したる吟なるべし、総て昔の諺に、あひ蚊屋、あひ膳などは、へだてなくむつまじき中おいふなり、舞正語磨〈万治元年印本〉下の巻に、紹巴と一つ蚊屋の内に寐たりといふとも、連歌の下手は下手なるべし、ちかくは紹巴連歌に名だかかりし故、かく記しゝなるべし、意は宗祇の蚊屋に同じ、七百韻〈延宝中印本〉宗祇餞別、相蚊屋の乳おはなれ鳴別哉、似春、素堂とく〳〵句合、庵崎有無庵お問れしとき、瓢枕宗祇の蚊屋はありやなしや、素堂がかく吟じたりと、祇空が序に見えたり、有無庵則祇空が庵也、