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明良洪範
二十三
板倉重宗諸司代の節、播州明石の城主へ申されしは、貴殿城内に古来より人丸の社これ有由、承り及び候が、人丸は和歌三人の内にて候程に、歌道お執心致し候者は、僧俗とも参詣申度と願ふにて、御城内の事故に遠慮有て、空しく打過候事にて候、諸人の為なれば御社お御城外へ移し出され、海辺の高みに建られ、往来の者も参詣仕候様に成され候らはヾ、我等も灯籠お寄進申すべくと有しかば、城主も重宗の申さるヽ事なれば、余儀なく海辺の高き所へ移されしかば、約束の如く周防守より大きなる灯籠お寄附有て、常灯お建られける、以前播磨灘お乗ける般、夜中風替り抔して、明石前は破船せし事など有し、向後は彼灯籠お目当にして入ける故、破船の愁ひなし、周防守の心は、畢竟此目当に至るべき為なり、されども城主より此所に移させ、後に灯籠お寄進せられ、初より自分の功お顕さず、後に人の心付様に諸事お致されける、誠に思慮の厚き人也けり、