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骨董集
上編中
行灯行灯の始詳ならず、下学集、〈文安〉灯籠行灯挑灯かくならべ出し、鎌倉年中行事〈享徳〉に、行列に続松行灯お持せられたること見えたり、按るに行灯は元家内にすえ置物にあらず、続松は便あしきゆえに、灯火におほひして風おふせぎ、持ありく為に造出したるものなるべし、然則字義にもあへち、民家は端近く風はやきゆえに、灯火におほひあるが便よければ、後に灯台にかへて用ひたるにやあらん、さて永正御撰何曾のうちに、御僧の寮に物わすれしたりといふお、あんどん(行灯)と解何曾あり、御僧の寮は庵也、物わすれは鈍也、さればあんどんといふが古言なるべし、下学集に行灯(あんどう)とかなおつけたるは、後に上木したる時のしわざなるべし、貞徳の御傘にも、行灯(あんどん)とかなおつけたり、
玄峯集〈伏見鐘木町炬松ふつて野辺お行も、げに援もとの古風なるべし、〉
行灯で来る夜おくる夜五月雨 嵐雪
かくいへれば、鐘木町ふるくは続松お用ひ、元禄の比は、行灯にておくりむかひせしなるべし、〈○中略〉行灯の古製は、今茶人の用る廬地行灯といふ物お見て知るべし、其製作持歩くに便よし、されば、元家内にすえ置ために造出したるものにはあらざるべし、遵生八揃に有柄曰行灯、用以秉燭、とあり、唐土の行灯は此方の挑灯のたぐひなり、
元禄二年印本、本朝桜陰比事所載図、〈○図略〉 今茶人の用る露地行灯といふもの、これに似たり、当地近きあたりおありくには、かくの如き行灯お用ひたり、今も諸国に行灯お夜行に用ゆる所おほくありとぞ、二十四五年前、おのれ上野に旅行せしとき、一の宮の辺にて、夜行に行灯お用ゆるお見たり、京都にては、ときによりこれおともして、軒につることありと聞きぬ、