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古今要覧稿
器財
火打袋
火打袋は火うちお入るゝ料なり、古事記に日本武尊東夷お征し給ふ時、倭比売命より贈り給ひしぞはじめなる、
河内国交野郡渚村郷士某氏所伝燧袋図〈弘賢蔵○図略〉
菖蒲革お以て造る、同革お以て底お入れ、前後縫めあり、深さ四寸八分、口広五寸五分、腹のめぐり一尺一寸、底の径二寸、うらは朽損じてなし、縫ひたる糸わづかに残りて見ゆ、
越後国農家所佩燧袋図〈○図略〉木綿糸お以て網お製す、底は革お用ゆ、色は好にまかす、或は縹一段、白一段、或は紺白二筋お用ひ、袋に燧と石とお納れ、竹筒にほくちお入る、中に節おこめて両口なり、蓋は木お用ひて造る、大小長短好にまかせて定なし、農人耕作に出る時は、かならずこれお佩ぶといふ、
有明袋 表さよみ、裏紅絹、七寸四方に縫て、四の角お中央にて合、縁にたゝみつけて、三角にしたるものなり、緒一筋にて紳縮自在なる様にせしものなり、按に是も又火打袋なり、後世うきよ袋といふものは、此形おうつせしなり、
製作
倭姫命の日本武尊にさづけ給ひしものは、錦の袋なるよし、盛衰記にしるせしかど、古事記には囊とのみ記されたれば、いかゞあるべき、古画に見え花る所は、錦の類とおぼしきものあり、古物の今に存したるには、革もて造りしもあれば、〈弘賢所蔵〉人々の好にまかすべきにや、又公家方にては、錦の類、武家にては革お用ひけるにや、