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宝蔵

火打箱
夏官燧お鑽て火お改るに、春は東方の青に随て、楡柳の火お用ひ、夏は南方の赤に随て、棗杏の火お用ゆるは、異朝の政令、周礼の古法と聞けれど、民間の火打箱といふは、其沙汰にも及ばず、七八寸四方なる箱おまち〳〵に隔て、鞍馬の石、大仏の燧など取あつめ、鍋炭したゝかに入おき、毎日火はけち〳〵と打ならして、朝もよひ飢渇のたすけおぞうながしぬる、おもふに此火ひとり石よりも出ず、かねよりも出ず、石とかねとたゝかふ間に、ひとつ気お生じて、しかもいまだ質あらざるに、ほくちにうつりて、始て質おなせるこそおかしけれ、いでや此火の始は夢ばかりなるが、その熾なるに至ては、宮室屋宇堂塔伽藍おもやきつくすこそおそろしけれ、又闇夜の大空おもてらせるおおもへば、一句の下に発明して、格物致知のひかりより、治国平天下の道徳にもいたるべきこそたのもしけれ、たのむもあやな電の世に、石の火の身お持て、
石の火やめほしの花の一さかり
思奇金石触生光 炊飯鬟茶育万方 湯殿行人休別火 古今天地一陰陽