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諸国里人談

油泉
美濃国谷汲の開基豊然上人、延暦年中草創の時、その地お平均(ならす)所に、一つの巌お鑿ければ、石中より油湧出たり、豊然誓て曰、我此地において大悲の像お安置して、もし広く利益せば、願くは此油ます〳〵多からんものなりと、いひおはると、則油涌いづる事泉のごとし、豊然大によろこび、十一面観音お安ぜられける、其長五尺の像也、其後延喜の帝その瑞応おきこしめされ、額お華厳寺と賜ふ、其油漸く微しきなれども、尊前の常灯お灯すほどは今以てあり、