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太閤記

藤吉郎殿薪奉行之事
信長公常に民の飢寒おあはれみ思召故に、錙銖お尽さず、漫に財用お貴ばず、たゞ民間お賑さんと欲し給ふ故、炭薪の費一年の分、何程にかと其奉行に問給へば、千石有余也と答へ奉る、いかゞ思召けん、奉行おかへよと村井に被仰付しに、誰彼と指図申候へ共用い給はず、藤吉郎お召て、今日より炭薪之入用、女沙汰し能にはからひ、一両年栽拠致し見べきむね仰付られしかば、翌日よりみづから火おたき、多くの囲炉おせんさくし、一け月の分お勘弁し、一年の分おかんがへみるに、右の三分一にも不及程なれば、近年千石ばかりは無左としたる費、益もなき事なりとて秀吉千悔し、翌年正月廿日炭薪のついへ、往年の勘弁かくのごとくの旨、御そば近く寄て申上しかば、御気色も且よろしく見えにけり、秀吉申上けるは、他国の守護は山に付ては炭薪、海辺は其便に順て貢し奉るやうに聞え申候、されば国中の里々大木生茂れり、一村より一本づゝ貢し候へと仰付られなば、いと安き事になん有べしと申上しかば、兎も角も能に計ひ申べしといへども、百姓等いたまざるやうに価おつかはすべきむね仰けるに、因て、それ〳〵に価おつかはしけり、