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古今要覧稿
器財
かさ 〈笠〉
かさは今も尋常に有る所の、竹或は草などにてあみたるものにして、ふるくも替りたることなし、始めてものにみえたるは、素盞鳴尊結束青草以為笠蓑〈神代巻〉とみえし、これすなはち笠てふものゝはじめにして、いともふるきもの也、かつ雨雪おしのがんには、かならずなくてならぬものなればこそ、大物主神の出雲国にいははれ給ふ時に、以紀伊国忌部遠祖手置帆負神定為作笠者〈同上〉とみえしが、かくて今にたゆることなく、貴賤時にあたつて用おなさしむるものなれば、その世々につけ、人々のこゝろ〴〵にまかせて、或は松笠、竹笠、檜笠、桔梗笠、つぼ笠、平笠、菅笠など製し出す事とさへなりぬ、また鎌倉の頃となりては、犬追物、笠懸、流鏑馬などいふ事専ら行はれて、人人装束出立に心おこめて、おもひ〳〵にさうぞきて出る事なれば、はて〳〵は裏打たる笠などさへ出来て、こがね或は白銀、またはしら打出など、花やぎたるものも種々いできにけり、しかのみならず綾藺笠は、軍陣にさへ用ふるものにて、其製によりては雨雪おしのぐ料のみにもあらず、かへつて傘よりも其用おなすことはまさるべきものなるおや、傘はもと皇国に出来はじめたるものにもあらずして、あだし国よりもて渡りこしものゝ、いつとなく皇国にひろごりて、後には尊卑のけぢめもなく、用ふるものとはなりたるなり、おもふに傘の皇国に渡りしは、欽明天皇十三年冬十月、百済王雲々幡蓋若干巻〈日本書紀〉とみえたる、このごろ渡りはじめしものならむ、さればいにしへは蓋繖の外は、今普通に有る所の如きものはあらずして、またく雨雪おしのぐべき料にはならぬものなるべし、其故はみなきぬおもてはりたれば、今のごとく紙おもてはることはなかりしなり、たま〳〵は菅にて製せし事も有とみえたれど、それもまた延喜式にいはゆる菅繖にして、さらに尋常に用ふべきものにもあらず、笠はもとより、雨雪お凌ぐ料につくりしものにして、殊に皇国におこりて、今の世にも普くもてはやすものなれば、いともめでたきものならずや、西土にても漢祖にはじまりしよし〈古今原始〉みえたれども、篆書に笠字有からは、漢に濫觴せんことは疑はしき事なり、さて今は大かたいやしきものゝみかむりて、堂上公卿の人々は笠おもちひらるゝ事のなきは、口おしきことなり、