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提醒紀談

竹笠の教諭
周防守重宗いまだ御小姓の時、明年御上洛の御供支度お、京都なる父伊賀守家老方へ申越れけるところに、いかゞとゞこほりしにや、秋の末まで一色も下されず候故に、又申越されしは、先達て申遣し候御供支度の品々、隻今にいたり一色も出来さし越なく候、不届千万に候、早々さし下すべきよし催促申されければ、十月にいたり、荷物一箇下りたるゆえ、家老ども披露申ければ、周防守すなはちこれへ持参候へと、申さるゝによりて、両人にて持出たるおあけさせ見られければ、大なる竹の子笠一かいこれあり、何れもあきれたるやうすなり、周防守には心得られしと見えて打笑ひ、下げよと申されける故その節、谷三助と雲もの側に居合せ、御前には御合点遊され候と相見え候、彼笠は何の御用に立候ものに候やと申しければ、周防守申さるゝは、あの笠お著て上お見るなといふことゝ打笑はれしほどに、親も親子も子なりと、三助感じ語りしとなり、〈古老雑話〉