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竹斎行脚袋

深草の馬思へば宇治川の先陣げにけふ深草の神わざ、当所も加茂とひとしく競むまあり、さらば暫待見んと、其程万寿寺のかべのもとによりいる、此五七町は、古貞信公の山の大とこ尊意闍梨に、建てまいらせ給ひし法性寺の結構、さながら金玉の山なりけるとぞ、中古より民家のわらの軒ひきく、背戸も外面も松あふちの木高く茂り、露雫のおやみせぬに習ひて、竹のかは笠お能作り出しければ、自身の業となり、所の名物となりぬ、東にふかく山に添て、東福寺の禅院そもさんか聞しらぬ鳥のし声ちんふん閑栖物すごし、誠や紫野老和尚当寺に詣給ひし時、薮陰にされかうべの在しお、
涙ふる法性寺笠きて見ればかはゝはなれてほね計なる、と読給ひしとかや、和尚も昔語に成給ひ、まして其骨だになくなりし、
きてみれば法性寺笠もり茂みほねさへくちて袖ぞぬれける、とつぶやけば、大路のかた、人声さはがしく、すは馬の時分よといふこそ遅けれ、皆橋づめにわしり出、