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古今要覧稿
器財
おほがさ〈大繖(○○) 屏繖(○○)〉
おほがさは今の世の日傘なるべくおもはる、その形状はしたしく見る者ならねば、委しくは弁じがたし、されども大方は、かの伊勢物語に、富士の山お、なりはしほじりのやうになんありけるとあるお、朱雀院の塗籠御本には、此山うへはせばく、しもは広くて、大笠のやうになん有けると有にて、凡は其さましられたり、但日傘といへる名は、宗五大草紙にみえたる外に、古くはいまだみあたらず、されど延喜式〈内匠野宮装束〉に腰輿一具、屏繖二枚と見え、和名抄〈服玩具〉に唐令雲、腰輿一次大繖四、本朝式〈按に延喜式なるべし〉雲屏繖と記され、また唐書儀衛志雲、天子出、大繖二、執者騎、横行居衛門後と見えたるなど、皆日傘なるべくおもはる、雨天の料にくらぶれば、殊の外華麗なるものなり、多く絹にて張たる歟、色目に制度ある事は聞えざれども、大方緋おもちふるにや、西土にては色の制度あるよし、世々の国史に見えたり、海山記に、帝与楊素釣魚於池坐赭傘とみえ、韓退之遊青竜寺詩に、柿の紅葉せしおたとへて、嚇々炎官張火傘などもいへれば、緋傘常用の物と見えたり、又按に、山城国南禅寺に、亀山院の御腰輿御屏繖ありて拝見せしが、いかにも美麗なるものなり、寺僧は屏繖なる事はしらずして、唯是も御腰輿に添たるものなりとて見せたれど、腰輿に添ひたる上は、屏繖にて有べきなり、