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古今要覧稿
器財
からかさ 〈傘〉
からかさは、いつの頃より始りしといふ事、いまだ詳ならず、おもふにもと皇国に始まりし物にあらずして、外国より渡り来りしものと思はる、其故は欽明天皇十三年冬十月、百済聖明王雲々、献釈迦仏金銅像一軀幡蓋若干〈日本書紀〉とみえたる、これより古く蓋の類の名の出たる事なければ、しかおもはるゝなり、然ればこの時はじめて、皇国へは渡りしものと見えたり、其後大宝養老の頃と成ては、専らもちひられたるものと見えて、主殿寮頭掌供御輿輦蓋笠繖扇雲々〈職員令〉と有、蓋は仏家の天蓋の如きもの、笠は竹笠菅笠などの類、繖は則今の傘なり、またおもふに皇国にふるく見えたる所の繖は、みな日傘なるべし、雨のふる時は、かならず笠お用ひしものならんか、其故は笠は、竹又は菅にて造れるものなればなり、繖は絹又紙にてはりしものゝよし、古く見えたり、さて又いま普通にもちふるところの傘の字は、説文等にみえずして、玉篇より音散蓋也と見えたり、思ふに令の製はじまりてより、象形に依て造りし字なるべし、然れども西土隋唐にては、多く此字おもちひたるによりて、皇国の日用とは成しものなり、令、延喜式、和名抄等には、傘の字お用ひしなり、されども和名抄より前なる新撰字鏡には傘繖〓傘〓〓この六字お載て、みな支奴加佐とよみたり、和名抄には支奴加左といふ和名おば載せざりしなり、字鏡に支奴加佐と訓たるは、帛おもてはりたればなり、しかるお今は又蓋と名お混じて、紛らはしきゆえ、からかさと呼ぶ也、からかさといふ名は、宇都穂物語伊勢物語塗籠本等にみえたれば、其前より有たる名にやと汾もはるゝお、和名抄にこの名おあげられざるは疑はし、猶おもふに、傘と笠とは通はして書けるものと思はる、其故は雨そゝぎも猶秋のむら雨めきて打そゝげば、御かささぶらふ木のした露は雲々〈源氏物語〉とみえ、又一条殿より笠もて来たるおさゝせて雲々〈枕草紙〉と見えたるなど、みな傘の事なるべし、はるかに後のものながら、東鑑に笠役といふ名目みえ、高忠聞書に、笠役の式お載せたるなど考へあはすれば、傘なる事疑なし、されば物語などにからかさといはずとも、かさとのみいひても、さすなど有はみな傘の事なり、