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当世武野俗談
踊子えもんおてるお縁
元文の頃は、江戸中おどり子と雲女有て、立花町、難波町、村松町お第一として所々に有、〈○中略〉其内に元文のはじめ、三五七組のえもん、千蔵組のおてる、大助組のおえんとて、至極名題の器量者有、かれは髪かしらお第一として、結構なる櫛かうがいお用ひ、多くは銀のかんざし抔にて粧ひけり、扠三人の踊子、暑気の節は、菅笠かぶりては髪お損さすとて、三人対に日傘お青紙にて張らせ用ひたり、猶立派にして其柄お黒ぬりにして、風流成紋お附たり、是は唐土の大王傘蓋として、青き薄ものにて傘お張らせ、さしかけさすると雲、通俗漢書のもの語お聞はつり、是始てさしけるなり、是世上一統に男子まで、青紙のかさおさすこそおかしけれ、今に医師などは是お止ず、一とせ馬場讃守欽命お蒙りて、青紙日傘お公儀より御法度に被仰出けり、是お忘却しけるやらん、今又是おさす人多くあり、女は苦しからざる歟、