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一話一言
二十八
完政八辰年十二月、勢州津堀川町福田氏手紙写、〈○中略〉
援に二三け国お領し給ふ御大家の領主あり、近年御領下困窮に付、〈○中略〉又々工夫おいたし、十八万之内にて、別て困窮之在所三拾弐け村へ、地平均申付候まゝ、是は其村之惚高お御上へ不残召上られ、百姓貧福お不分甲乙なしに平し、田畑割合に作らせらるゝ趣被仰出候処、甚以百姓方上下とも帰服不仕、依之大庄やお以て願出といへども、御聞済なく日お送り候処、頃は極月廿六日夜、南之方七八里山中より出たりと見へて、百姓数多蓑笠にて、竹鑓やうの物お持、御城下近き南之山にてかゞり火お焼、近郷之村々同心し、出よ〳〵と呼はり廻り、若出ずんば、村端より火お付焼払はんと、のゝしり歩く故、無是非蓑笠著し、一統に出来りしかば、人数は時之間雲霞の如く集り、〈○中略〉
落首〈○中略〉 身の上としらで寄くる蓑かぶりみのきてかへれじやくは西なり