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嬉遊笑覧
二上/服飾
合羽といふ物は、古代なきものなか、昔は蓑お著たりと雲は、一わたりの説なり、古へその物なきにあらず、〈○中略〉今の合羽は、慶長の頃、紅毛人の衣服、袖もなく、裾ひろきかつぱといへる物お学びて、紙にて作り、油ひきて、かつぱと名付く、今の坊主合羽といふ物なり、其後また油おひき、袖お付たる紙かつぱ出来て、又木綿羅紗等の合羽は出来るなりと、四季草にいへるは誤りなり、木綿等のかつぱは、もと道服より起る、古昼に、今の水綿合羽の如きものお著たるかたあり、是道服なり、後これお雨羽織ともいへり、〈○中略〉然るお其服蛮人のかつぱに似たれば、是おもかつぱと呼て、雨はふりの名は隠れたるにや、紙にて作れる袖なきは、元よりかつぱと雲しものにて後の物なり、紅毛の国の書およむ人に聞しに、かつぱはぼるとがるの詞にて、紅毛には是おやすといふ、ほるとがるは援に通信したることはやく、和蘭の来らざる前にありしかば、其国の詞今に遺りたるが多し、ぼたんがけのぼたんといふ物も、彼かつぱに付たるびゆたんといひし物お、訛りてぼたんといふなり、是もほるとがる詞なりとぞ、〈東雅にぼたんとは、西洋払郎機国の方言の轗じたる也といへるは非なり、〉