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塵塚談

婦女の(/○○○)雨衣(かつは/○○)の事、完延宝暦のころ迄は、御家人の妻女下女等は、浴衣お雨よけに著たり、大なる紋お五つ六つも附たるもあり、伊達摸様お染しも有けり、近歳は下賤の女も、浴衣などは著るものなし、みな木綿の合羽(○○○○○)お著る事になりぬ、又男子も近年は夏合羽(○○○)とて、葛布、芭蕉布の類おもつてつくる、富饒の人は琥珀、呉路服連等にてこしらへ著る、此夏合羽も、完政比はなかりしこと也、吾大人宝暦十三年癸未六丹十三日、六十三歳にて没し給ふに、夏合羽、夏火事羽織の設けなし、是にて二品の久しからざるお知べし、婦女は夏合羽はいまだ著ざれども、遠からず著る事になるべきにぞ、