[p.0511][p.0512]
走衆故実
一拾月五日より三月三日までは、きやはん(○○○○)、もゝはゞき(○○○○○)おする、御きやうより以前はせず、たとひする時なれども、御道に川あり、雨ふりてつよくしるければ、きやはんもゝはゞきおとる也、きやはん色多分こんのしゆす(○○○○○○)也、但茶の色(○○○)にても著用の例有之、もゝはゞき色不定、〈○中略〉一同説〈○宗幡物語〉きやはんもゝはゞきは、北野御経御聴問より花頂の花御覧までせられ候也、又飯川能登殿は、三月二日三宝院殿へ御成迄せられ候、三月三日よりせられ候はず候よし候、〈○中略〉
一当御代八幡御社参之時、右京兆分注より十八人、自典厩二人、已上廿人参、其時は先規にも不立入、公方様御幼少の事にて、諸事御異見被申候時分の儀候而、押付候て走衆の前へ被参候、様体故実瓔下私ざま候はんとて、波々伯部兵庫所へ飯能〈○飯川能登守〉および候て尋申、雨ふり候てきやはんおとり候へば、もゝはゞきおもとり候哉と申、中々の事其分候、其証拠には、天気不定に候へば、ももはゞきおば仕候て罷出、仍すはう著ながら取候やうのこしらへやうあり、うしろのたてあげおみじかく仕候へば、くりこして足ぬかれ候物に候、足おぬき候てそのまゝ置候べし、たてあげながく候へば、其まゝはぬがれぬ物にて候由申来候、然ばもゝはゞきおも取候証拠分明候哉、大館与州常興、右京兆衆はもゝはゞきお仕候由不審存候、其事少々相尋候衆々は、藤民部、後藤佐渡守などに相尋候分申伝候由、返事候へば、残りの衆も与州意見候て、皆とらせられ候つるとて候、飯能物語候也、〈○中略〉
一きやはん、もゝはゞきの事、きやはん(○○○○)はしゆすにかぎり候、色黒(○)、又茶(○)、ねづみ色(○○○○)などにてもこしらへ、藤民部殿、後藤佐渡殿など著用候由に候、もゝはゞき(○○○○○)は、どんす(○○○)、あや(○○)以下、又こうばい(○○○○)、くち葉(○○○)已下のおり色、但紅梅は御小者抔の様なるとて被嫌候、作去若衆などは、さも候てよく候はんや、