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太平記
二十九
宮方京攻事
桃井右馬権頭直常、其比越中の守護にて在国したりけるが、兼て相図お定たりければ、同〈○観応二年〉正月八日越中お立て、能登加賀越前の勢お相催し、七千余騎にて夜お日に継で責上る、折節雪おびたヾしく降て、馬の足も不立ければ、兵お皆馬より下し、橇お懸させ、二万余人お前に立て、道お踏せて過たるに、山の雪氷て如鏡なれば、中々馬の蹄お不労して、七里半の山中おば馬人容易(たやすく)越はてヽ、比叡山の東坂本にぞ著にける、