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奥羽永慶軍記

同九年檜原合戦の事
去程に長井の者ども是お恥辱に思ひ、〈○中略〉正月中旬〈○永禄九年〉都合千五百余人檜原に押寄たり、〈○中略〉其比檜原城、代佐世玄蕃頭、甲の緒おしめながら、沓に橇お下部にかけさせ進み出れば、足軽弓の者五六十人前お駆る、同所武頭に穴沢加賀とて、六十余の老武者、麾取て下知しけるは、〈○中略〉嫡子新左衛門、畏り候、去ながら雲中の戦ひ急なる故、味方に橇かけたる者見え候らはず、雪に踏入て草臥候ふべし、弓にて射落し候らはんと、敵の横合に廻れば、〈○下略〉