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奥羽永慶軍記
二十七
小野寺湯沢城返攻事附岩崎合戦事
義光聞給ひて、さらば山北に加勢おやらんとて、長瀞(なかとろ)内膳光忠、小国日向守光基、一つ栗兵部、伊良子長右衛門に旗本三百余騎、足軽三百人お差添て向らる、其道金山と八口内の間は、蕪岳有屋峠とて、聞得し難所の大山なれば、いまだ残んの雪に、木々の梢お埋みたり、〈○中略〉金山お巳の刻に通りて、午の刻には有屋峠の雪路お、手々に橇(かんじき)おはきて、やう〳〵と打越、八口内の谷に下りける時、〈○下略〉