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守貞漫稿
後集四/雑器及囊
挟箱 今世将軍家の挟筥は、溜塗、網代蓋黒塗、蓋上に葵大紋二つ、蓋縁前後各四つ、左右各三蓋雁立と雲て、先筥四つお縦一行に列す、日光法親王挟筥同製、紋菊蓋先筥四つに箇二行、
縉紳家は大臣以下、筥蓋ともに黒塗、是は胴紋と雲て、筥の前後各二つ左右各一つの大紋お描く、予先年上巳の日、帝居に詣て諸官人の参内お見るに、五摂家は未任大臣も乗物にて参内す、蓋三公に任じたる人先筥有之、未だ三公に任ぜざる人は無筥也、清華以下も三公に任じたるは如上、納言以下は侍一人或はに人履取僕一人のみ、皆歩行也、
親王法親王は乗物にて、先筥あり、
武家は家格により先筥有無也、又金絞も免許の家のみ描之、其紋蓋及同縁に描くこと、前に雲が如し、胴紋は更無之、
駕後の対挟筥は、万石以上以下ともに乗物にて登城の人必用之、蓋後筥の次に万石以上は必らず蓑筥あり、以下交代旗本などは有之とも、多くは蓑筥なし、騎馬の人は後筥二は希也、専ら一つ也、歩行の人は必一つ、
井伊掃部頭は先筥一つお家風とし、備前池田家は黄絞お描き金紋に擬し、越前家及津軽氏は前筥後筥蓑筥ともに、赤革の覆お掛る、長きこと地に至る、―――――は桐の素木先筥後筥お用ふ、又家格により挟筥蓋上に太き紐お掛る、将軍家、親王家は紫、其他は専ら黒、又陪臣の後筥にも紐お掛たるあり、
縉紳家、及僧侶の挟筥には、専ら紐あり、
又江戸市民は年始回礼に出るに、主人麻上下手代一人、丁児一人、挟箱持一人、大中戸の者如此、小戸は略之、挟筥持鳶人足の頭也、家号ある熏革大羽折お著せる、挟筥には年玉の扇等お納肱、京坂無之、又三都とも葬送には挟筥お用ふ、今世其他事不用之、
女用挟筥には、黒無地、或は黒塗に、径二寸許の定紋お数々散描く、蓋必らず油単と号けて覆お掛る也、前にも雲る如く、乗物日覆猩々緋の時は、挟筥覆同製白らしや切付にて定紋お描く、
或は先筥後筥ともに、紺萌木等のらしや白切付紋もあり、年齢により如此歟、
幕府以下宗室国主大名等上輩女房の挟筥、緋お用ひず、他色のらしやに白切付定紋也、
高貴の婦女潜行にも、対後筥もあり、或は後筥一つお用ふもあり、此時はらしやは希にて、専ら中形地紋同色の純子也、紋品により地紋他色もあり、定紋は描かず、