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槐記
享保九年十二月七日、当職〈○関白近衛家熙〉の初より、火事挟箱(○○○○)と名付て、非常の為にこしらへて、兼て用意せしに、そのとき初て御用に立たり、一方にはそれぞれの私具、一方には茶碗茶台お初て、御膳の具まで、新調お一通り入て、かりにも次にせずして用意す、東山院鴨の川原の中途御渇あり、湯お聞し召そと詔ありしに、幸にして茶弁当はありけれども、用意の具やなからんとひしめく、彼新調お献上す、手柄おしたり、すなはち今の左府〈○迸衛家久〉までに雲伝て、此の非常の具お用意すと仰らる、