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兎園小説
十二集
瞽婦殺賊
近頃〈○文政年間〉の事なり、武州忍領の辺へ、冬時に至れば、越後より来る瞽婦の三絃お弾じて、村々お巡りつゝ、米銭お乞ふ有けり、或冬忍領の長堤お薄暮に通過せるに、忽後より呼び掛くるものあり、瞽婦〈○此間有闕文〉即自ら吹く所の管頭(がんくび)お指し向くるに乗じ、瞽婦摸索し、我が烟草に火の通ぜざるまねして、大人口づから吹きたまへといふ、盗何の思慮もなく、力お入れて吹くに及びて、其機お測り、忽ち盗の烟草お握り、躍り掛りて、力に任せて咽喉お突く、盗不意お討れて、大に狼狽して、仰けに倒れぬ、瞽婦直に我が縕袍お摸取し、虎口お遁れて、兼ねて知れる村家に投宿し、右の状お話す、翌朝村人堤上に来て見るに、盗遂に一烟管の為に、急所お突れて死せりと雲ふ、七尺の大男子、一瞽婦に弊さる、又天ならずや、〈武州忍の在なる、吉次郎といふ者の話なり、〉 循庵主人記