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厳有院殿御実紀附錄

御承統のはじめ天守に上り玉ひしに、御側のものら遠眼鏡(○○○)お持来り、御覧あるべしと三度まで申上しに、聞せたまはぬ御さまにて、はでに仰られしは、われ幼しといへども当職の身なり、もし世人等、今の将軍こそ日毎に天守に登り、遠鏡もて四方お見下すなどいひはやしなば、ゆゝしき大事なり、承統の前はともかくもあれ、今はさる軽々しきわざはなすまじとのたまひしとぞ、そのかみ紀伊大納言頼宣卿、いとけなくおはしける頃、城の天守にのぼり千里鏡おもて四方お遠見し、大によろこび玉ひ、近習等も興ある事にもてはやしければ、卿いよいよおもしろき事と思し玉ひ、日々天守にて千里鏡おもてあそばされける、或時安藤帯刀直次が其所へ推参し、某にも御見せたまはるべしといひながら、その鏡おとりて直に天守より投おとし、散々に打くだきて後、国主日々櫓にのぼり、遠鏡おもて往来の人お見玉ふとありては、下々ことの外艱困するもの多し、よりて某打くだきて候、御秘蔵の千里鏡お打くだきし事、思召にかなはざらんには、某お御成敗あるべしと直諫しければ、卿大に恥おもひ玉ひ、この後はかゝる事絶てなし玉はざりしといふことお伝へしが、公には此事聞召し置れたるにはあらざるべけれど、みづから天品の卓越し玉ひしゆえ、かゝる仰もありしなるべし、