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有徳院殿御実紀附錄

惇信院殿〈○徳川家重〉いまだ長福君と申けるほど、御輔導の重臣おえらばれ、安藤対馬守信友その任にさゝれて、享保九年十一月十五日に附属せらる、〈○中略〉若君の御もとにはつけられしにやと、皆人いぶかり思ひしに、そのころ若君の御か、たに、長崎より千里鏡(○○○)お奉れり、いとけなき御心におもしろきものに思召れ、朝夕御庭の山よりこれおもてのぞませ見玉ふに、郭内ゆきゝ衣服の飾まであざやかに見えければ、ことにけうぜさせ玉ひけり、ある日信友に御庭お見せ玉ひしに、かの千里鏡おもて山よりのぞみ見るべしと仰ありければ、信友則とりてこれおみ、誠にくまなく遠き所まで見え侍り、よにめづらしき物にこそ、さりながらかゝる物はやむごとなき御方の、めで玉ふべきものにあらず、其故は、郭内往来するものども、このごろ若君山より御覧じ玉ふと聞つたへなば、さこそ心ぐるしく覚侍らめ、人の難儀におもふこと、かり初にもこのませ玉ふべきにあらずといひながら、あやまちしさまして、彼千里鏡お山よりおとして、微塵に打くだきけり、若君これおきこしめし、大にむづからせ玉ひけるが、公〈○徳川吉宗〉にはさこそあらめ、対馬はさる忠言申べき者としりたればこそ、かのことはなしつれとて、ふかく御感ありしとなむ、