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和漢船用集
五/舟名数江湖川船
御座船、〈○中略〉海御座、河御座、其法摂州天満堂島に専盛なりとす、故に寺島良安、天満の船大工、摂州の土産にのせられたり、是関舟川舟おつくりなせる、其功自然とあらはるゝ者なるべし、則天満舟大工町、堂島船大工町と言て、七十年以前までは、浜辺にて七十丁八十挺立の大船おつくりし所なりしに、貞享元禄の比、川村瑞賢、天下の均命によつて新川おほり、堂島に新地拾町の町家お開けり、是に依て以前大船お造りし所も今町中となり、川幅もせまくなりて橋数多掛れり、其下の洲崎お下し賜て、今船作り場とす、是も町役御赦免有なれば、年経て両船大工町の如く名のみのこりて、船大工絶へなんことおなげけり、