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昔昔物語
昔慶安の頃、夏日照暑気強故、諸人凉みの為、ひらた舟に、やね作りかけ、是おかりて人おのする、此舟に乗り、浅草川お乗廻し、暑おわすれ慰さむ、此舟遊の初也、翌年の頃より、大身衆も凉とて、人大勢乗故、凉しからず、翌年より船次第に大きく拵へ、四五間も有舟に成、承応之頃、船の盛にて、明暦中、正月江戸中の大火事、翌年に至て、御城御普請、江戸の大名衆普請故、舟は如何様の小舟にても、材木石竹運送船と成て、中々凉の屋根舟一艘もなし、依之三四年、船遊山、透とやみしに、万治頃、右の凉舟作り出し、諸人共夏の暑お凌ぎ、過し大火事のくるしみお忘れ、火敷はやり、大身衆迄、あまた出らるゝにより、舟ちいさく、間数すくなくて成らず、次第に大きく七間八間の屋形に拵へ、後は船の名、川一丸、関東丸、大関丸、山一丸、熊一丸、十満一丸抔とて、山一丸は九間あり、熊一丸は十間有、十満一丸は十一間有、大船に御旗本衆乗て、行厨色々美尽し、人数十人なれば、鑓十本両のすだれに添てかけならべ、十弐人なれば十二筋也、是お御旗本の、乗りたる幅に見ゆる、町人の借て出る舟には、鑓壱筋もなし、御旗本乗たる舟は、鑓計にあらず、家来の侍、袴お著し、用人らしき者には、綟子肩衣著するも有し、近年の船遊山は、舟もちいさく、鑓抔は一筋も見へず、