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甲斐国志
三十一/山川
一富士川 慶長中、角倉与市が台命お奉じて、険お平らげ、漕道お通じければ、土人皆驚歎して神功と称しき、〈○中略〉船の制は長七間半、横七尺、深三尺許、薄板お以て造之、船底平にして艫舳共に高し、之お行るときは、一人船頭に在て篙お執り、一人船尾に在て、舵お持て舟梁に立ち、両人船傍に双びて、櫂お以て水お撥き、船おして疾行せしむ、其船頭に在る者、危険回折の処に遇毎に、予手お挙て在尾者お警しむ、在尾者即舵お蕩して、船お左右にすること自由自在なり、進て其処に至れば、船頭に在る者、篙お伏石峭巌に支へて回避し、怒涛に簸揚せられて下ること速なり、鰍沢河津より駿州巌淵河岸に至る、水程十八里、日お終へずして著すべし、若急事ある時は、三時四時にして達すと雲、