[p.0652]
洞房語園異本考異

山谷通ひの小舟は、長吉といへるもの作り出せし故に、長吉舟といひたるお、いつの頃よりか、ちよき舟といひ習はし、文字さへ猪牙と書替たりと、添凉が江戸砂子にも見へ侍る、左もありしか、又一説に、此ちよき舟お作り出せし元祖は、兵庫屋何某とか雲て、むかし今戸堀のはたに住居せし由、〈○中略〉此兵庫家の家、殊に栄へて、今戸橋の北の川端に住居して、舟お作る事お業とす、当時兵庫屋吉兵衛といふは、始祖より八代目なりと、今是にたよりて聞に、長吉といふ者は、たしかならず、もし作り出せし頃、其舟の形漣に動くお見て、猪牙と呼初めしにや知らず、此舟すみやかにはしらんことお工みて、さんちやうの櫓おかけたりしが、後に御制禁有てやみぬ、