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和漢船用集
五/舟名数江湖川船
御座船(○○○) 楼船也、明律考駕送黄馬並に同御座船とす、漢にも一号大座船と雲こと見へたり、これ一番御座船と呼者也、又御召舟(○○○)と雲、海舟には早舟お用、今関船と称す、大船お御召御座船(○○○○○)と雲、次お御召替舟(○○○○)と雲、若川の瀬あつく御召の船とおらざる時、召替の舟にて通すなり、いわゆる船に乗こと、馬に乗がごとくすといへり、海陸舟馬ひとしうす、或は大御座船(○○○○)、中御座船(○○○○)、小御座船(○○○○)と呼、後太平記に、先帝の御座船といへる、帝王、及諸侯、太夫士、貴人の乗りたまへるゆへ、御座と雲、御召舟と雲也、船お入置覆のやお御船宮と雲、摂州川口御船やに有之、
御公儀様、御卅御座船(○○○○○)、以前紀州より御献上の舟なるよし、紀伊国丸と号す、真舳に孔雀お彫物にす、故に孔雀丸と称す、土佐丸、中土佐丸、難波丸、みな金銀珠玉おちりばめ、美つくせり、其結構言語にのべがたし、其外御大名様方御召船、数多にして、其美筆紙につくしがたし、或は竜お滅金の金物にして艗にえがき、雲水奇花おかざりとし、舳に蟠竜飛竜お刻めり、是いわゆる竜舟(○○)也、〈○中略〉凡川御座船、其制新古の違あり、又屋形の制造、数種有、すべて中倉お屋形とす、此お上段と雲、其後お次之間と雲、其後倉お舳屋ねと雲、総矢倉也、其後に有お出しやねと雲、上に太鼓楼有、上段の前倉お将几と雲、其前に有お表出しやねと雲、此下に座有お小将几と雲、左右に有やねお旅やねと雲、取置也、天子の御舟は、茅萱葺にて千木鰹木お上る、将軍家は、檜皮葺にてしやちほこあり、其外皆とち葺にて箱棟鬼板あり、唐破風、てり破風、むくり破風、或は入母屋作、横棟造、上屋形あり、又左右の高欄胴舟梁まであるお常とす、舳まで通す者反台袖垣あり、