[p.0668][p.0669]
有徳院殿御実紀附錄

元禄の頃よう、久しく御舟にめさるゝ事なかりしかば、御舟庫にありしとす、船ども、皆朽そこなはれたるよし聞召し、享保のはじめ、殊更に命ぜられて、こと〴〵く修理お加、へらる、かくて小納戸頭取松平伊賀守当恒、仰お蒙り、風涛あらき日おえらび、水主二十人余にてこぐべきほどの船お、品川より乗出し、浦賀まで乗廻りこゝうみられしに、帰り来りて、紀の海おのりしにくらぶれば、日和よく風なぎたるがごとし、然し今の御舟は、其製よからず便あしきよしお申ければ、さちば紀の海たて、鯨とる舟のかたちに擬して作るべしと仰下され、やがて製造成て、海上お乗試しに、いかなる風波の中お往来しても、陸地に坐するがごとく穏にして、しかも便利なりしかば、此舟あまた作られしに、本所のあたり洪水のとき、たゞちにこの舟こぎ出て、溺るゝものお救ひし事、あげてかぞふべからず、かねて武備の用にあてられんとて造られしかど、まのあたり不虞の用に立しとぞ、