[p.0675]
嬉遊笑覧
二下/器用
茶船といふは、童蒙先習十いそがはしきもの、茶舟こぐ、凡度量のびざる奉行の事おなすは、茶舟こぐに同じ、俳諧染糸千句の内に、湯の山で見たる名所おかたられよ茶舟こぞつてさても寝がたき、〈此句、淀の渡船などお雲ふに似たり、〉ちよき船などの出こぬ前には、此船もいそがはしきものにてありしなるべし、茶筅にて茶おたつるは、急なる物ゆえ、准へて此船の名としたるにや、又は茶屋などの如く、客お載て憩息せしむる意にや、風流徒然草に、二挺大三挺おおさせとみえたる大三挺は、今のにたり舟おいふ歟、大茶船は、後に出来る物と見ゆ、〈昔の茶船は、このにたりにや、〉にたりお荷足と書れ共、もと其義にはあらじ、三挺などに似たるのか、
茶舟は、もと大船の荷物お分ち載て、運送する為の舟なり、上荷よりも小き舟お雲ふ、永代蔵一難波橋より西見わたし雲々、上荷茶船(○○○○)かぎりもなく、川波に浮びしと雲へり、上荷舟は、廿石積なりとも、堀江舟は三十石もあるなり、茶舟は十石の荷物お運送の舟、なりとぞ、当時大坂七村に、荷舟九百廿艘、中舟六百七十二艘、新上荷茶舟五百艘、茶舟千三十一艘、堀江舟五百艘、都合三千六百二十三艘となむ、