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橘庵漫筆
二編二
過書船は昭代の御国初に、有功の下民お御取立有て、御仁徳お布るゝ事有しに、時過期に後れて訴出し故、過書と雲へりといふ人有しが、按ずるに、唐書の令に、諸渡関津、及乗船筏上下経津者、皆当有過所雲々、又順和名抄にも出たり、又天道船と称するも、淀渡歟、澱渡なるべし、昔は淀より神崎難波へ乗船せし故、淀船といえりしお、伏見の城、繁昌のときより、伏見輻湊の地となり、澱お越て登る故、唐書にいへる過所に配当して、過書たるべき歟、