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古事記伝
二十八
当芸斯(たぎし)は、和名抄舟具に、唐韻雲、舵〈字亦雲舵〉正船木也〈○中略〉とあり、延佳、此お引て、疑此物也と雲る、信に然り、〈玉篇に、舵正船木也、設於船尾与舵同と雲、釈名に、舟尾雲舵弼正船使順流不使他戻也と雲り、〉師〈○加茂真淵〉雲、舵は、今世に加遅(かぢ)と雲物なり、万葉などに加遅とあるは、今世に艫と雲物にして、舵には非ず、然るに、歌又祝詞などには、加遅(かぢ)、又加伊(かい)おのみ雲て、多芸斯お雲ること無し、そは歌によみなれず、句の調も協はねば、おのづから漏たるならむ、祝詞も、調お択べばなりと雲れき、さて多芸斯お、多伊斯と雲は、中古より音便に頽れたるなり、倭の地名の当芸麻(たぎま)おも、後には多伊麻と雲が如し、〈其外も、伎お音便に伊と雲格いと多し、〉多芸志耳命など雲名も、此物に因れるにや、名義は、万葉七〈二十五丁〉に、大舟乎(おほふねお)、荒海爾榜出(あるみにこぎいで)、八船多気(やふねたげ)、とあるは、船お弥多気(いやたげ)と雲事にて、力お致し、左右に擬(まかな)ひて、船おやるお雲るなれば、船お思ふ方へ、擬ひ行る由の名なるべし、〈斯(し)の意は詳ならず、多気と多芸とは、通はし雲る例多かり、〉さて当芸斯は、今の加遅なることは決けれども、其形状はいかゞありけむ、今世と同じかりきや、異なりきや、詳ならず、