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中国治乱記
同〈○天文二十年八月〉廿九日、義隆卿〈○大内〉は、岩永〈へ〉被退給、〈○中略〉扠て小荷駄お岡部才覚して、夜明方〈に〉千戸崎へ落し奉る、此処に後子壱岐と申す船頭あり、是お頼み、船お才覚した皆のり玉ふ、