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甲子夜話
七十三
予〈○松浦清〉が中の海船、船ぜりとて、両船相対すれば、自他共にこれお為すこと有り、又予が中の某、先日帰邑の暇乞にとて来り、彼是の話せし中に曰ふ、某この廿年前出府のとき、熊沢某と、隼丸と雲御船に乗り、又柘植某と立石某は、子長丸と雲に乗り、豊前の田の浦お発し、末灘お渉らんとするとき、二艘相並、かの船ぜりに及ぶ、このとき隼丸は船形も大にして、且古船なれば、足遅くして、殆ど負色に見ゆ、その時この船の表役と梶取と二人、衣お脱ぎ赤裸になり、船飾の鉄砲お持て、船中お踊り廻り、加子(かこ)共お励したり、その体、梶取は陰具の半ばお藁にて結び、表役は陰囊大なる男なるお、態と打露はしたり、某驚き興がりて、この体は如何なることや、不図の思つきかと問たれば、曰く、左はこれなし、十余里の所お迅行せんとするは、人疲れ気衰ふ、このとき勢力お引立るには、笑謔に非れば精神伸ることなし、既に昔年法印公〈○松浦鎮信〉朝鮮御渡海のときも、如斯き体たること、船手の伝る所なりと、某聞て鍔然且敬伏せりと、これ利口なる答なれど、計るに当時の事実ならん、