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枕草子
十二
うちとくまじきもの
舟のみち、日のうらゝかなるに、海のおもてのいみじうのどかに、あさみどりのうちたるお引わたしたるやうに見えて、いさゝかおそろしきけしきもなき、わかき女の、あこめばかりきたる、侍ひのものゝ、若やかなるもろともに、ろといふ物おして、歌おいみじううたひたる、いとおかしう、やんごとなき人にも、見せ奉らまほしう思ひいくに、風いたうふき、海のおもてのたゞあれにあしうなるに、物もおぼえず、とまるべき所にこぎつくるほど、舟に波のかけたるさまなどは、さばかりなごかりつる海とも見えずかし、おもへば舟にのりてありく人ばかり、ゆゝしきものこそなけれ、よろしきふかさにてだに、さまはかなき物にのりて、こぎゆくべき物にぞあらぬや、ましてそこひもしらず、ちひろなどもあらんに、物いとつみいれたれば、水ぎはゝ隻一尺ばかりだになきに、げすどものいさゝかおそろしとも思ひたらず、はしりありき、露あらくもせば、しづみやせんと思ふに、大なる松の木などの、二三尺ばかりにてまろなるお、五六ほう〳〵となげ入などするこそいみじけれ、やかたといふ物にぞおはす、されどおくなるは、いさゝかたのもし、はしにたてる物どもこそ、めくるゝ心ちすれ、はやおつけて、のどかにすげたる物のよはげさよ、たえなば何にかはならん、ふとおちいりなんお、それだにいみじうふとくなどもあらず、我〈○清少納言〉のりたるは、きよげに、もかうのすきかげ、つまどかうしあげなどして、されどひとしうおもげになどもあらねば、たゞいへのちいさきにてあり、ことふね見やるこそいみじけれ、とおきは、まことにさゝのはおつくりて、うちちらしたるやうにぞいとよく似たる、とまりたる所にて、舟ごとに火ともしたる、おかしう見ゆ、はし舟とつけて、いみじうちいさきにのりてこぎありく、つとめてなどいとあはれ也、あとのしらなみは、誠にこそきえもてゆけ、よろしき人は、のりてありくまじき事とこそ猶おぼゆれ、