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車は、くるまと雲ふ、輫(とこ)、軸(よこがみ)、輪、轅(ながえ)等ありて、牛力又は人力等お以て挽行する者なり、日本書紀履中天皇紀に、筑紫の車持部の事見えたれば、以て其用の久しきお知るべし、〈車持部の事は、官位部古代官職伴造篇に詳なり、〉人力お以てする者に輦あり、又牛力お以てする者に、牛車(ぎつしや)、唐庇車、檳榔毛車、網代車、糸毛車等の数種あり、又貨物等お運搬するに、力車、大八車等あり、而して其製作各〻異なるお以て、其名も亦一ならず、輦は、てぐるま、又こしぐるまと雲ふ、皇太子、親王、及び大臣、婦女、僧侶等の特に宣旨お蒙りて後、乗用することお得るなり、輦に乗りて宮門お出入するお聴さるれば、待賢門に於て、輦に移乗し、春花門前に於て下車す、而して僧侶は、其拝賀の時、朔平門前に於て下車するなり、待賢門は宮城門にして、春花、朔平両門は宮門なり、蓋し宮門に出入するお聴すとは、宮城門お主とするなり、故に中重(なかのへ)宣旨お蒙るにあらざれば、宮門に入ることお得ず、牛車は特に重きものにして、多くは輦車の宣旨お蒙りたる人にあらざれば、此宣旨お賜はることなし、其出入すべき門お、亦宮城門と為し、特旨にあらざれば宮門に入ることお得ず、而して宮城門の中に於ては、上東門より入るお以て常と為せども、或は他の門お用い、或は待賢上東両門お兼ね用いることあり、唐庇車は、又唐車とも雲ふ、蓋し唐様に摸するなり、檳榔毛車は一に毛車と称す、檳榔の葉お裂て、棟及び輫の下お飾れるものなり、糸毛車は檳榔に代ふるに、糸お以てするものにて、青糸毛、紫糸毛、赤糸毛等は、其色に由て名くるなり、網代車は籧篨お以て、輫お飾れるものなり、賀茂祭の使の車、及び物見車は装飾お主とするに由り、飾車又は風流車の名あり、婦女の車に衣裳お簾より垂れ、互に其美お競ふの風あり、之お出衣(いだしぬぎ)と雲ふ、
貨物お運搬するに、人力お以てするお、力車と雲ふ、即ち荷車なり、又牛力お以てするお、牛車(わしぐるま)と雲ふ、徳川幕府の時には、人力お以てするに、大八車と雲ふものあり、牛車と共に運搬の用に供せり、