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輿車図考

半蔀車
台記雲、仁平三年九月十日、〈於車中見文書条〉乗檳榔車西向立之、〈軛懸榻巻簾〉家司文章博士長光進申曰、外記景良候仰可召之由、景良自北方直進入轅内、置筥於踏板、〈先是開輦戸〉余〈○藤原頼長〉置笏一々取之見了、
これらおもてかうがへ侍れば、輦戸はひきゝものにや、毛車物見なければ、輦戸高くば内暗かるべし、鳳輦より出でたれば、輦戸とはいふめれ、その鳳輦の輦戸お考ふるに、明月記雲、元久元年十一月八日、〈行幸跪置〉 弓開輦戸、〈先上の横渡の銅お抜きて、次に下に指し六る銅お抽き戸お開く、〉立進寄西内侍前、相跪取璽、右廻置御輿内、〈御輿巽角方、御剣可置其外之程也、〉退本所取弓候、主上御御輿候階下、将警蹕、予〈○藤原定家〉立進寄東内侍前、相跪取御劔、左廻安御輿、〈○註略〉次戸お押したてヽ鏁之如元、
同雲、建暦二年十月廿五日、〈行幸〉後聞基忠卿不開輦戸取御剣、主上〈○順徳〉令仰御剣御之間、久而思出開戸、
これら鳳輦の輦戸のひきゝ証なり、されば車の前のかたに、高欄のやうに見ゆるが、かの輦戸にても侍るにや、〈輦戸なく高欄あるなどいふ註文もあれば、もとよりひとつものには侍らじ、すがたは似たるものにや侍らむか、〉檳榔はじとみ車など、古画にいちじるくなりながら、戸の見えざるお見ても、かうがへ見るべし、