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明良洪範
続篇十一
安藤対馬守重信、二条城へ行幸有し時、女院〈○中和門院前子〉中宮〈○源和子〉の御車、新に作らせらるべしと、車作りお召て、御沙汰有しに、御車一両、金一万両の代金と申、余り過分の事迚、衆義あり、外の車作りに申付けり、御好みの如く、賓郎毛、網代、何にても下直に請合し故に、殿上人以上、各用ひらるヽ車にも万金お費さんや、下直なる事、実成べし迚、安藤重信に申ければ、重信聞て、先年御入内の時、御車一万両宛にて、大八葉以下出来せし由なり、古へ公家殿上人など用ひしは、隻今我等が用ゆる所の乗物の類ひならん、時代押移り、車の用なき事、歳霜久しく、車作りの所作なし、重ねて箇様の規式有べき期お知らず、故に以来迄の儲けお望むと見えたり、去ば遏分の下直成も心得難し、残らず申付ん事も無用也、先一輪申付、其出来ばへお試みらるべしと有に、程なく御車きてめきて出来せしかば、牽せ試みるに、音律も協はざる故に御用に立ず、重信、去ばこそ子細有べき事とて、禁中の車作りに仰付られしかば、斯る大礼、古へお取て執行はるヽ故に、倹約がましき事は少しも勿りし、此度の行幸は、北山殿の日記お摸され、所作楽行幸の礼に、北山殿の両礼宜敷処お取行るヽとかや、女院東福門の御車ども、今も泉涌寺般若院に収められ、将軍家の御車は、二条の御城に有とぞ、後年千代姫君の御乗物、代金一万両にて御召替まで出来し、誠に善美お尽なれしと也、